経済効率至上主義を前にして |
斜め向かいに立っていた某社の社宅。すでに社宅ではなくなって久しく、賃貸アパートになっていたようだ。今年に入ってから土地の測量や工事の挨拶などがあったので覚悟はしていたが、いざ解体がはじまるとその音と振動とほこりのすさまじいこと。
周囲の住宅は事前に調査が行われた。「中庭のある家」にも担当者がやってきて、家の内外の写真を撮影。現況を記録したものを冊子として渡された。「オタクの工事でヒビが入った」等のクレームがあった場合に、この記録と照合するとのこと。
測量会社、解体工事会社によってなされた説明は納得のいくものだった。ただ、某社がこの土地をどうしようとしているのかについて「聞いてない」、「分からない」という返答には、いささか白けた。口止めされているのがありありと分かる。工事の不都合を耐え忍ぶ周辺住人に対する態度としては、お粗末すぎるだろう。
1971年に竣工した社宅の周りには、相当大きくなった木々があった。よく実をつけるみかんの木を楽しみにしていた人もいた。それらをなぎ倒したのを見れば、ここがどうなるのか予測するのは簡単だ。更地にして切り売りしたところで大した額にはならないはずだが、賃貸アパートのままでは埒が明かないということか。アパート再生という道もあるのに…
木が育つには数十年の時間がかかる。土地ではなく、育った木こそ財産であろうに、それをたった一日で根こそぎにしてしまった経済効率至上主義。
木の張り裂ける音が、人間の愚かさを糾弾する叫び声に聞こえたといえば誇張のしすぎだろう。だが、木が泣いているとの感慨が胸の痛みとともにやってきたのはたしかだ。